今日、準職員の方から、「地域ねこお助け隊」の話を聞きました。少子化が進む日本で、飼われているペットは、子どもの数より多いといわれています。私のところの犬もそのうちの一匹ですが、犬は1年に1回狂犬病注射しなければならないことから、市町村に登録してあり、鑑札を付けて管理されています。
一方、猫はそういうものがなく、捨て猫も多く、生命力、繁殖力が強く、どんどん増えて行ってしまうそうです。仕方なく、市町村で殺処分せざるを得なくなるので、何とか殺処分をなくして猫も自分の生涯を全うさせてあげたい。そのためには、繁殖しないようにして、地域ねことして生活し、虐待されず、飢え死にすることなく、一匹のまま、生涯を終えてもらうようにするというもの。それを知り合いとボランティアで活動しているとの話をきかせてもらった。
殺処分ゼロを目指して、色々な相談に乗り、役所に協力してもらい、政治家に訴えたりしながら、みんなに協力してもらいながら、ねこの幸せを求めて、活動しているとのこと。
聞いていると、野良猫が敷地内に入り込み嫌な想いをしている人は、エサをやらないでくれとか、こういう活動をしている人に反発したりと、理解してもらうのは、簡単なことではないようだ。
活動に力が入り、身体を壊されないか、自分の家庭を犠牲にされているのではないかと心配になる。
一方、人間だって変わらないのではと考えさせられた。
ちょっと前まで、しっかりしていて、叱られていた父親や母親が認知症になり、理不尽な言動をするようになると、それが何か月、何年も続くと、怒られたり、しつけられていた相手だけに介護の手がかかることが余計に我慢できず疎ましく感じてしまうということはないとは言えないだろう。マスコミで老々介護や親の介護で悲しい事件が流されるのを見るにつけ、例外的に起きた事件とは言えないと感じる。
虐待など、絶対にあり得ないとは言い切れない自分に不安になり、悩みながら毎日を過ごしている。
自分の言葉で主張できない人や動物、何を望んでいるのか、どうなることが幸せなのか、一所懸命考えることから始めるしかないかと、自分を納得させている。
どう思いますか?